木下坂(きのしたざか) 港区

南麻布5丁目7番、5丁目8番の間

北側は,大名木下家の屋敷がありその門前に面していたために,よばれるようになった坂名である。
平成二十三年十一月
(坂の標識より)

有栖川宮記念公園の北西面に面する部分。

南部坂 (なんぶざか) 港区

南麻布4丁目、5丁目の間

有栖川宮記念公園の場所が、赤坂からうつってきた盛岡城主南部家の屋敷であったために名づけられた。(忠臣蔵の南部坂は赤坂。)
(坂の標識より)

有栖川宮記念公園の南側でドイツ大使館前の通りです。
ドイツ大使館の壁展覧会は 「ベルリンの壁崩壊から25年〜壁に囲まれた街から世界に開かれた都市へ〜」と題しポスターやアートペインティングが楽しめました。

新富士見坂 (しんふじみざか)  港区

南麻布4丁目5番、4丁目10番の間

江戸時代からあった富士見坂(青木坂)とは別に明治末大正ごろに開かれた坂で富士がよく見えるための名であった。
(坂の標識より)

薬園坂(やくえんざか) 港区

江戸時代前期坂の西部に幕府の御薬園(薬草栽培所・小石川植物園の前身)があった。なまって役人坂・役員坂と呼ぶ。
平成二十一年二月 港区
(坂の標識より)

寛永年間、この坂の西部に幕府の御薬園が開かれた。
なんと薬草の栽培所、小石川植物園の前身だそうです。

青木坂(あおきざか) 港区

青木坂(あおきざか) 港区
別名:富士見坂(ふじみざか)
南麻布4丁目10番、4丁目11番の間

江戸時代中期以後、北側に旗本青木氏の屋敷があったために呼ばれた。
(坂の標識より)

本氷川坂 (港区)

本氷川坂 (港区)
赤坂6丁目10番、6丁目19番の間

坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治16年4月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。
港区 標識より

坂下には勝海舟邸跡があります。

港区赤坂6丁目10番39号の「ソフトタウン赤坂」が建つこの地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が安政6年(1859)から明治元年(1868)まで住んだ旧跡である。海舟は終生赤坂の地を愛し、3カ所に住んだが、当初居住中の10年間が最も華々しく活躍した時期に当たる。
勝海舟邸跡の記より

檜坂 (港区)

檜坂 (港区)
赤坂6丁目19番、9丁目7番の間

江戸時代には、檜の木が多いため、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸(檜町公園)に添う坂であった。
港区 標識より

SMAPの草なぎさんが騒ぎを起こした檜町公園のある坂道。
向かい側に柿右衛門東京店があり。休店だったので素敵なドアノブがお洒落でパチリ。

なだれ坂 (港区)

なだれ坂 NADAREZAKA(港区)
六本木3丁目2番、3丁目4番の間

流垂・奈太礼・長垂などと書いた。土崩れがあったためか。幸国(寺)坂、市兵衛坂の別名もあった。
港区 標識より

坂上から右手には「旧六本木プリンスホテル」等の跡地の再開発がされています。
日本作曲家協会、善學寺、円林寺、飲食店や古い木造住宅、色々な景色が見えます。

寄席坂 (港区)

寄席坂 YOSEZAKA(港区)
六本木3丁目4番、3丁目5番の間

坂の途中の北側に、明治から大正3年にかけて、福井亭という寄席があったために、寄席坂とよびならわすようになった。
港区 標識より

2回急な曲がり角のある坂道です。
坂を上がり右折した所に陶芸家 前田正博さんのアトリエ「六本木磁器倶楽部」があります。

丹波谷坂 (港区)

丹波谷坂 (港区)
六本木3丁目5番、3丁目6番の間

元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった。明治初年この坂を開き、谷の名から坂の名称とした。
港区 標識より

車や人の通りが割とある坂道です。工事現場の前に置かれた緑色のガードフェンスが可愛くて和みました。

不動坂 (港区)

不動坂 (港区)
六本木三丁目

丹波谷坂の南にある坂で標識がないのですが、坂の途中に麻布不動坂一願不動尊があります。
右手前に見える建物が、この坂の名前の由来となった不動院です。

芋洗坂 (港区)

正しくは麻布警察署裏へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以降にできて、
こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。

前回、饂飩阪までで歩き損ねた芋洗坂からスタート。
六本木交差点、外苑東通りから芋洗坂を下る。