中坂 (千代田区)



中坂 (千代田区)
この坂を中坂といいます。「御府内沿革図書」によると、元禄三年頃(1690)までは武家地となっており坂はできていませんが、元禄十年(1697)の図以降になると中坂が記載され、元禄十四年(1701)以降の図には世継稲荷神社も見ることができます。なお『新撰東京名所図会』には「中阪は、九段阪の北方に在り。もと飯田阪といへり。飯田喜兵衛の居住せし地なるに因れり中阪と称するは、冬青阪と九段阪との中間に在るを以てなり。むかし
神田祭の山車等は、皆此阪より登り来れるを例とせり。」とかかれています。

硯友社跡
この地に明治時代の文学結社、硯友社の社屋がありました。
硯友社は、明治十八年(1885)二月、尾崎紅葉・山田美妙・石橋思案らで結成され、回覧雑誌「我楽多文庫」を発刊、同二十一年市販されるにおよび明治二十年代の文壇に多くの影響を与えました。
同人には、川上眉山、巌谷小波・広津柳浪らも参加しています。
明治三十年代以後衰退し、紅葉の死によって消滅しました。
平成四年三月 千代田区教育委員会

筑土神社
社伝によれば筑土神社は、天慶3年(940)平将門の霊を武蔵国豊島郡上平川に祀り津久土明神と称したことにはじまり、その後飯田町に近い田安に遷座して田安明神と称しました。元和2年(1616)には牛込門外の筑土山(現新宿区筑土八幡町2番地)に遷座して筑土明神となり、途中明治7年に筑土神社と改称しましたが、以来昭和初期まで牛込に鎮座し続けました。しかし昭和20年空襲で社殿などを悉く焼失し、29年には九段中坂の世継稲荷神社境内、すなわち田安明神の旧地に近い現在地に遷座しました。
千代田区教育委員会

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