菊坂 (文京区)



菊坂
本郷四丁目と五丁目の間
「此辺一円に菊畑有之、菊花を作り候者多住居仕候に付、同所の坂を菊坂と唱、坂上の方菊坂台町、坂下の方菊坂町と唱候由」(『御府内備考』)とあることから、坂名の由来は明確である。
今は、本郷通りの文京センターの西横から、旧田町、西片一丁目の台地の下までの長い坂を菊坂といっている。
また、その坂名から樋口一葉が思い出される。一葉が父の死後、母と妹の三人家族の戸主として、菊坂下通りに移り住んだのは、明治23年(1890)であった。今も一葉が使った掘り抜き井戸が残っている。
寝ざめせしよはの枕に音たてて なみだもよほす初時雨かな
樋口夏子(一葉)
-郷土愛をはぐくむ文化財-
東京都文京区教育委員会 平成11年3月

一葉ゆかりの伊勢屋質店(本郷5-9-4)
万延元年(1860)、この地で創業し、昭和57年に廃業した。樋口一葉(1872-96)と大へん縁の深い質店であった。
一葉の作品によると、一葉が明治23年、近くの旧菊坂町(現本郷4丁目)の貸家に母と妹と移り住んでから、度々この伊勢屋に通い、苦しい家計をやりくりした。明治26年、下谷竜泉寺町に移ってからも、終焉の地(現西片1~17~18)に戻ってからも、伊勢屋との縁は続いた。
一葉が、24歳の若さで亡くなった時、伊勢屋の主人が香典を持って弔ったことは、一葉とのつながりの深さを物語る。店の部分は、明治40年に改築した。土蔵は、外壁を関東大震災後ぬり直したが、内部は往時のままである。
~一葉の明治26年5月2日の日記から~
此月も伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ、
羽織二つ、一風呂敷につゝみて、母君と我と持ゆかんとす。
蔵のうちにはるかくれ行ころもがへ
郷土愛をはぐくむ文化財
東京都文京区教育委員会 昭和63年3月

 

 

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