本氷川坂 (港区)

本氷川坂 (港区)
赤坂6丁目10番、6丁目19番の間

坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治16年4月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。
港区 標識より

坂下には勝海舟邸跡があります。

港区赤坂6丁目10番39号の「ソフトタウン赤坂」が建つこの地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が安政6年(1859)から明治元年(1868)まで住んだ旧跡である。海舟は終生赤坂の地を愛し、3カ所に住んだが、当初居住中の10年間が最も華々しく活躍した時期に当たる。
勝海舟邸跡の記より

檜坂 (港区)

檜坂 (港区)
赤坂6丁目19番、9丁目7番の間

江戸時代には、檜の木が多いため、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸(檜町公園)に添う坂であった。
港区 標識より

SMAPの草なぎさんが騒ぎを起こした檜町公園のある坂道。
向かい側に柿右衛門東京店があり。休店だったので素敵なドアノブがお洒落でパチリ。

なだれ坂 (港区)

なだれ坂 NADAREZAKA(港区)
六本木3丁目2番、3丁目4番の間

流垂・奈太礼・長垂などと書いた。土崩れがあったためか。幸国(寺)坂、市兵衛坂の別名もあった。
港区 標識より

坂上から右手には「旧六本木プリンスホテル」等の跡地の再開発がされています。
日本作曲家協会、善學寺、円林寺、飲食店や古い木造住宅、色々な景色が見えます。

寄席坂 (港区)

寄席坂 YOSEZAKA(港区)
六本木3丁目4番、3丁目5番の間

坂の途中の北側に、明治から大正3年にかけて、福井亭という寄席があったために、寄席坂とよびならわすようになった。
港区 標識より

2回急な曲がり角のある坂道です。
坂を上がり右折した所に陶芸家 前田正博さんのアトリエ「六本木磁器倶楽部」があります。

丹波谷坂 (港区)

丹波谷坂 (港区)
六本木3丁目5番、3丁目6番の間

元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった。明治初年この坂を開き、谷の名から坂の名称とした。
港区 標識より

車や人の通りが割とある坂道です。工事現場の前に置かれた緑色のガードフェンスが可愛くて和みました。

不動坂 (港区)

不動坂 (港区)
六本木三丁目

丹波谷坂の南にある坂で標識がないのですが、坂の途中に麻布不動坂一願不動尊があります。
右手前に見える建物が、この坂の名前の由来となった不動院です。

芋洗坂 (港区)

正しくは麻布警察署裏へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以降にできて、
こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。

前回、饂飩阪までで歩き損ねた芋洗坂からスタート。
六本木交差点、外苑東通りから芋洗坂を下る。

植木坂 (港区)

植木坂 (港区)
(麻布台3丁目4番、麻布永坂町の間)
この付近に植木屋があり、菊人形を始めたという。外苑東通りからおりる所という説もある。

シャーーーッ

今朝の地震、愛は二階から一目散に階段を駆け下りてどこかに行ってしまいました。 多分、何かの隅っこに隠れに行ったのだと思うけれど、地震の度にすっ飛んでいく。 反対に大ちゃんは普段のとおり悠然と寝ているが、さすがに揺れが続く…

永坂 (港区)

永坂 NAGASAKA(港区)
(六本木5丁目、麻布永坂町の間)

麻布台上から十番へ下る長い坂であったためにいう。長坂氏が付近に住んでいたともいうが、その確証はえられていない。

-谷中- ちょい散歩

「ストップモーションムービー」つくってみる? からの~谷中散策。
カメラ片手に谷中の路地裏、お化け階段、ねんねこ屋前の坂道、ギャラリー猫町、澤の屋旅館
途中、「芋甚」のアイス最中や「根の津」でうどん、甘味処でふわふわのかき氷・・なんだよく食べてるな(笑)
相方がささっと編集してくれて出来上がりましたよー。

久しぶりのお日さま

「気持ちいいねー」と寛いでいるとピンポーンと来客。
インターフォン越しに
「国勢調査ですが・・・中略・・・お宅は3人ですよね」
「・・?・・ふたりですけど」

あ、表札に大ちゃんの名前があるんだった(笑)
ここに越してきた時は愛ちゃんはまだ居なかったんだねー。