多分ここ、どの時間帯でもいつでも混雑しているのでしょう。
理由は分かります。安いし、値段の割には美味しいし、昼呑みの聖地だと思います。
チープな机に隣の人との距離も狭くて、三ちゃん友達とかできそうです。
壁面にずらりと並んだお品書きは読み切れないほど豊富だし中華・和とどんな気分でも口にしたいメニューは見つかるでしょう。
投稿者: emi
天久
「TBSお願いランキング、スーパーニュース他
テレビ放映歴9回 湯島の名門店 名物かき揚げ」
油ものを避ける大人の事情を(たまにはいいか)と無視し店内に入ると
7席ほどのカウンター、突き当たってこあがりがある。
お昼限定のサービス天丼1000円を注文。
後から2組ほど入店したが皆同じものを注文していた。
目の前のメニューを見ると
かき揚げ丼 大3600円、中2600円、小1950円とある。
お店の構えからすると強気の価格設定。
10分ほどして着丼。
海老3本、サツマイモ、イカ、海苔、キス。
何となく一番目はサツマイモ。んまい!衣が薄くて具材が甘味が濃くホロホロ。
イカも下ごしらえがきちんとされて柔らかいし、海苔はパリッとしている。
思ったより軽く揚がっていて胃もたれの心配しなくてもいいかも。
色目の濃いタレも多すぎず少なすぎず配分されている。
と、ご飯を口に運んでガッカリ。
水分が多すぎて粒々感が全くなくべとついた食感。
天ぷらに負けない、程よい歯ごたえがあれば良かったのに。
満腹感はあっても満足感が損なわれたのが惜しい。
湯島天神 菊まつり
坂道を散策していたら区内のあちこちの掲示板に菊まつりのポスターが掲示されていた。
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平成27年11月1日(日)~11月23日(祭)
湯島天神では、今回で第36回を迎えます菊まつりを本年も境内にて開催致します。
本年の菊人形はNHK大河ドラマ「花燃ゆ」をテーマに二景五体。
また、大作りと呼ばれる千輪咲、大懸崖、盆庭、を中心に古典菊の「江戸菊」「巴錦」等の菊花、約2千株を境内に展示し、盛大に行われます。
鐙坂 (あぶみざか)
文京区本郷4丁目
本郷台地から菊坂の狭い谷に向かって下り、先端が右にゆるく曲がっている坂である。
名前の由来は「鐙の製作者の子孫が住んでいたから」(『江戸志』)とか、その形が「鐙に似ている」ということから名づけられた(『改撰江戸志』)などといわれている。
この坂の上の西側一帯は上州高崎藩主大河内家松平右京亮の中屋敷で、その跡地は右京山と呼ばれた。
文京区教育委員会 平成六年三月
(坂の標識より)
近くにあった明治中期創業の銭湯「菊水湯」はこの近くに住んでいた樋口一葉も通っていたそうだ。
その菊水湯も解体され4階建てのマンションになるらしい。
新坂 (しんざか)
文京区本郷5丁目と6丁目の間
区内にある新坂と呼ばれる6つの坂の一つ。
『御府内備考』に、「映世神社々頭領を南西に通ずる一路あり、其窮る所、坂あり、谷に下る、新坂といふ」とある。
名前は新坂だが、江戸時代にひらかれた古い坂である。
このあたりは、もと森川町と呼ばれ、金田一京助の世話で、石川啄木が、一時移り住んだ蓋平館(がいへいかん)別荘(現太栄館)をはじめ、
高等下宿が多く、二葉亭四迷、尾崎紅葉、徳田秋声など、文人が多く住んだ。この坂は、文人の逍遥の道でもあったと思われる。
東京都文京区教育委員会 昭和63年3月
(坂の標識より)
胸突坂 (むなつきざか)
胸突坂 (むなつきざか)
文京区本郷5丁目
昔は菊坂と呼ばれていたが、現在の菊坂に名前を譲り、こちらは「胸突坂」となったそうです。
その名の通り勾配の急な坂道を上がると登録有形文化財に指定された鳳明館本館やノスタルジックな本郷倶楽部等があります。
伊賀坂 (いがざか)
文京区白山2丁目
白山台地から白山通りに下る坂で、道幅は狭く、昔のままの姿を思わせる。この坂は武家屋敷にちなむ坂名の一つである。伊賀者の同心衆の組屋敷があった(『御府内備考』)とか、真田伊賀守屋敷があった(『改撰江戸志』)という2つの説がある。『東京名所図会』では真田伊賀守説をとっている。伊賀者は甲賀者と共に、大名統制のための忍者としてよく知られている。
文京区教育委員会 平成9年3月
逸見坂 (へんみざか)
文京区白山4丁目
「白山神社裏門の南、小石川御殿町と指ヶ谷の間より南へ御殿町へ上る坂あり、逸見坂といふ。旧幕士逸見某の邸、坂際にありしより此名に呼ぶなり」(『東京名所図会』)
武家屋敷にちなむ坂名である。このあたり「旧白山御殿町」で、逸見坂はその北のはずれに当たる。
町名の由来は、白山御殿(後に5代将軍になった館林候綱吉の屋敷)からきている。
御殿廃止後、幕府の薬園(現在の小石川植物園)となる。
坂の西側の「本念寺」には蜀山人(太田南畝)の墓がある。
文京区教育委員会 平成元年11月
蓮華寺坂 (れんげじざか)
文京区白山2丁目と4丁目の間
『蓮華寺即ち蓮花寺といへる法華宗の傍らなる坂なればかくいへり。白山御殿跡より指が谷町の方へでる坂なり」と改撰江戸志にある。
蓮華寺は、天正15年(1587)高橋図書を開基、安立院日雄を開山として創開した寺院で明治維新までは、塔頭が六院あったという。
なお、この坂道は小石川植物園脇の御殿坂へ通じ、昭和58年(1983)にハナミズキやツツジが植栽され、春の開花、秋の紅葉が美しい並木道である。
文京区教育委員会 平成12年3月
(坂の標識より)
おとめ山公園
江戸時代おとめ山と呼ばれていて、ここは将軍家の狩猟地で、立ち入り禁止の意味の「御留山」が名の由来だそうです。
緑の多い公園内にある「みんなの原っぱ」には幼児が喜びそうな遊具が配置されています。
ベビーカーがずらりと入口に並んでいたのが頷けます。
そして案内板の横に「捨て猫禁止」のポスターがありましたので、ぬこさまも多い?と期待したのですが
急ぎ足で通り過ぎたので1匹も出会えませんでした。
傾斜地を下りて林の方に潜んでいたのかもしれません。
相馬坂(そうまざか)
この坂に隣接する「おとめ山公園」は江戸時代には将軍家御鷹場として一般人の立入りを禁止した御禁止山(おとめやま)であった。この一帯を明治時代末に相馬家が買い取って屋敷を建てた。
この坂は新井薬師道から相馬邸に向け新たに通された坂道であるため、こう呼ばれた。
(坂の標識より)