なんとも不思議なカフェです。ギャップ萌え・・・ふと脳裏にそんな言葉が浮かんできました。外観の雰囲気が強すぎて、入店すると「ほぉ」と声が出そうになりました。日曜日、11時45分頃入店で先客おらず、窓際の2人掛けに。こちらでお勧めは他のレビュアーさんから「野菜カレー」と伺っていましたが朝食がグリーンカレ…
投稿者: emi
ファクトリー (FACTORY)
麹町カフェから誕生したパン工場・・ファクトリー。果物やレーズンからおこした天然酵母を使用してパンを焼いているそうです。おしゃれな外観に、「工場」の名の通りコンクリート打ちっぱなしの機能的な店内。ただ、訪問した時は店頭に並んだパンの種類は少なかったです。奥にはカフェスペースがあります。土曜日はモーニン…
九段坂 (千代田区)
この坂を九段坂といいます。古くは飯田坂ともよびました。『新撰東京名所図会』には、「九段坂は、富士見町の通りより、飯田町に飯田町に下る長坂をいふ。むかし御用屋敷の長屋九段に立し故、之を九段長屋といひしより此坂をば九段坂といふしなり。今斜めに平かなる坂となれるも、もとは石を以て横に階を成すこと九層にして…
冬青木坂 (千代田区)
和洋女子学園前からホテルグランドパレスの南側を「目白通り」に下る坂です。冬青木坂 (千代田区)この坂を冬青木坂(もちのきざか)といいます。『新編江戸志』には「此所を冬青木坂ということを、いにしへ古びたるもちの木ありしより、所の名と呼しといへども、左にあらず、この坂の傍に古今名の知れざる唐めきて年ふり…
中坂 (千代田区)
中坂 (千代田区)この坂を中坂といいます。「御府内沿革図書」によると、元禄三年頃(1690)までは武家地となっており坂はできていませんが、元禄十年(1697)の図以降になると中坂が記載され、元禄十四年(1701)以降の図には世継稲荷神社も見ることができます。なお『新撰東京名所図会』には「中阪は、九段…
安藤坂 (文京区)
文京区春日1・2丁目の境この坂は伝通院前から神田川に下る坂である。江戸時代から幅の広い坂道であった。傾斜は急であったが、1909年(明治42)に路面電車(市電)を通すにあたりゆるやかにされた。坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因んで、戦前は「安藤殿坂」、戦後になって「安藤坂」とよばれるように…
富坂 (文京区)
春日一丁目と小石川二丁目の間「とび坂は小石川水戸宰相光圀卿の御屋敷のうしろ、えさし町より春日殿町へ下る坂、元は此処に鳶多して女童の手に持たる肴をも舞下りてとる故とび坂と云う」と『紫一本』にある。鳶が多くいたので、鳶坂、転じて富坂となった。また、春日町交差点の谷(二ヶ谷)をはさんで、東西に坂がまたがっ…
鍋割坂 (千代田区)
鍋割坂 (千代田区)この坂を鍋割坂といいます。『新撰東京名所図会』には「堀端より元新道一番町の通りへ上がる坂なり。」とかかれています。同じ名称の坂は各地にありますが、どれもふせた鍋(台地)を割ったような坂であることからその名がつけられています。千代田区隼町の国立劇場北側のところにも同名の坂があります…
二合半坂 (千代田区)
二合半坂 (千代田区)この坂は二合半坂と呼ばれています。名前の由来は諸説あります。『再校江戸砂子』という史料には、日光山が半分見えるためと書かれています。なぜ「日光山が半分見える」と「二合半」になるのでしょう。このことについて、『新撰東京名所図会』という史料での考えを紹介しましょう。富士山は麓から頂…
逸見坂 (文京区)
逸見坂白山4-32と34の間「白山神社裏門の南、小石川御殿町と指ヶ谷の間より南へ御殿町へ上がる坂あり、逸見坂といふ、旧幕士逸見某の邸、坂際にありしより此名に呼ぶなり」(『東京名所図会)武家屋敷にちなむ坂名である。このあたり「旧白山御殿町」で、逸見坂はその北のはずれにあたる。町名の由来は、白山御殿(後…
蓮華寺坂 (文京区)
文京区白山二丁目と四丁目の間「蓮華寺即ち蓮花寺といへる法華宗の傍なる坂なればいくいへり。白山御殿跡より指ヶ谷町の方へ出る坂なり」と改撰江戸志にある。蓮華寺は、大正15年(1587)高橋図書を開基、安立院日雄を開山として創開した寺院で明治維新までは、塔頭が六院あったという。なお、この坂道は小石川植物園…
浄心寺坂 (文京区)
浄心寺坂「小石川指ヶ谷町より白山前町を経て東の方、本郷駒込東片町へ上る坂あり。浄心寺坂といふ」(新撰東京名所図会)浄心寺近くの坂なので、この名がついた。また、坂下に「八百屋於七」の墓所円乗寺があることから「於七坂」の別名もある。文京区教育委員会 平成19年3月八百屋お七の墓お七については、井原西鶴の…