富坂 (文京区)


春日一丁目と小石川二丁目の間
「とび坂は小石川水戸宰相光圀卿の御屋敷のうしろ、えさし町より春日殿町へ下る坂、元は此処に鳶多して女童の手に持たる肴をも舞下りてとる故とび坂と云う」と『紫一本』にある。鳶が多くいたので、鳶坂、転じて富坂となった。
また、春日町交差点の谷(二ヶ谷)をはさんで、東西に坂がまたがって飛んでいるため飛び坂ともいわれた。そして、伝通院の方を西冨坂、本郷の方を東冨坂ともいう。都内に多くある坂名の一つである。
この近く礫川小学校裏にあった「いろは館」に島木赤彦が下宿し、”アララギ”の編集にあたっていた。
  「冨坂の冬木の上の星月夜 いたくふけたりわれのかへりは」
   島木赤彦(本名 久保田 俊彦 1876~1926)
   文京区教育委員会  平成12年3月
   

旧小石川町
(昭和39年までの町名)
京都聖護院門跡道興准后が、『廻国雑記』(文明18年・1486)に次のことを書いている。
「ここ(上野忍岡)を過ぎて小石川と言へる所にまかりて、我方を思ひ深めて小石河いつをせにとかこひ渡るらん」
また、『江戸砂子』(享保17年・1732)に、「小石多き小川が幾流もある故なり・わけて伝通院の後の流、ねこまた橋の川筋小石川の濫觴なり」とある。
むかし、千川(小石川)、江戸川(神田川)や周囲の高台から流れた細流が、現在の後楽園一帯で合流していた。これらの川は砂や小石が多かったので、この辺を小石川村と呼んだ。明治5年、小石川町としてた。
  文京区

文京区と春日局
文京区「春日」の地名は春日局が乳母として仕えた三代将軍徳川家光より拝領した土地に由来し昔は春日御殿町とよばれていました。
また春日局の菩提寺麟祥院が湯島にあり文京区は春日局と歴史的に深い縁があります。昭和六十四年一月(1989)より一年間NHK大河ドラマ「春日局」が放映されました。文京区ではこれを契機として「文京区春日局推進協議会」を設立し区民の皆様と共に区内の活性化 地域の振興を図ることを目的として種々の事業を推進しました。ここに本事業を記念して春日局を建立することにいたしました。
平成元年十二月吉日  文京区春日局推進協議会

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


コメントに画像を挿入できます (JPEG のみ)