湯立坂 (文京区)

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湯立坂

2007都市景観賞【ふるさと景観賞】を受賞。
「タモリの東京坂道美学入門」(講談社)都内最高評価

湯立坂は、情緒ある坂の傾斜や形状、帯状につながる公園の深い緑、歴史を感じさせてくれる石積みが相まって、文京区の景観づくりに貢献しています。
(文京区)

「我方を思ひふかめて小石河いつをせにとかこひわたるらん」
道興准后「廻國雑記」(文明十八年<1486>六月から翌年三月までの北陸、関東、奥州諸国の紀行詩文集)より

「里人の説に住古はこの坂の下は大河の入江にて氷川の明神へは河を隔てゝ渡る事を得ず。故に此所の氏子とも此坂にて湯花をた奉りしより坂の名となれり」
(御府内備考)

【周辺施設】
旧磯野家住宅
国指定重要文化財 小石川5-19-4
実業家の磯野敬(1868~1925)が建設した住宅で、銅板葺の屋根や銅板が張り回された外観から通称「銅御殿」として知られる。主屋および表門の2棟が国の重要文化財に指定されている。
主屋は明治末期に着工、大正元年(1912)に施工された。車寄を備えた書院棟、3階建ての応接棟、旧台所棟などからなる。表門は大正2年竣工で、尾州檜の太い丸太材を用いた四脚門である。主屋、表門ともに材料にはよく吟味された木材がふんだんに使われており、建具や欄間などの意匠や造作から熟練した木造建築技術の一端が窺われる。
伝統的な木造建築の技術と明治以降の大工技術の創意とが融合した近代和風建築の作品であり、東京に残る明治末期から大正初期にかけての数少ない邸宅建築のひとつとして貴重な文化財である。
(文京区教育委員会)

占春園  文京区大塚3-29
この辺りは、幕末までの20年ほどの間、徳川光圀の弟を藩祖とする陸奥守山藩松平家の上、中屋敷の地であった。占春園は、この屋敷内にひらかれた庭園の名残である。
「林には鳥、池には魚、緑の竹と赤い楓、秋の月、冬の雪」と、四季それぞれの庭の美しさでその名が知られ当時の江戸三名園の一つに数えられていた。
明治36年(1903)、東京高等師範学校(戦後の東京教育大学、筑波大学に改組)が、湯島からこの地に移り、占春園は、校地の一部になった。現在は、筑波大学付属小学校の自然観察園として、同校が管理し、区民にも公開されている。
(文京区教育委員会)

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