熱海七湯めぐり

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熱海七湯めぐり

熱海は歴史が色濃く残る場所です。
昭和レトロな街並みの路地裏や椰子の実が並ぶ白砂のサンビーチ、その周辺に熱海温泉の歴史に重要な位置を占めてきた源泉を巡りながら熱海七湯にまつわる話に触れ思いをはせながらひと時の湯の町散策を楽しむ一日を過ごしてみませんか。
それぞれの案内板の説明文を引用します。

河原湯
所在地:熱海市銀座町12
国道135号上り沿い、熱海商工会議所近く
このあたりを東浜といい、道もなく石のごろごろした河原で、温泉が絶えず豊富に湧き出ていて村人の入浴場でした。湯治客は大湯の源泉が主に使われ、ほかの源泉も限られた家のみが使用するお湯で、熱海村の農民や漁師や近郷の人達が自由に入浴できるのは、この「河原湯」だけでした。
寛文6年(1666年)小田原城主稲葉美濃守が、村民のために浴室を設けてその屋根を瓦葺としたため、「瓦湯」と称したとも言われています。
この湯は神経痛やリューマチなどに効能があり塩分が多く、人が入ると透明な湯が白く濁るほどであったといいます。

佐治郎の湯(目の湯)
所在地:熱海市銀座町10
銀座通り・スルガ銀行横
佐次郎という者の邸内にあったことから「佐次郎の湯」といわれました。また、この源泉は明治のころは上杉助七という者の邸内にあり、のち新かど旅館の所有になったので「新かどの湯」ともいわれました。
この湯は火傷にも良いが眼病にもよく効くといわれ、別名を「目の湯」ともいいました。

※横に注意書きとして「現在は、目に効能は無く高温のため、目を洗わないでください。」とありました。

清左衛門の湯
所在地:熱海市東海岸町1
古屋旅館玄関前
昔、農民の清左エ門という者が馬を走らせて、この湯壺に落ちて焼け死んだので、その名が付いたといいます。明治までは、昼夜常に湧き出てたえることがありませんでした。人が大きな声で呼べば大いに沸き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。

風呂の湯と水の湯
所在地:熱海市咲見町1
福島屋旅館前
「風呂の湯」は、昔の坂町高砂屋の庭から湧き出ていました。今の福島屋旅館の西側です。
この湯は外傷に良いといわれ、また、湯気の上騰が盛んで饅頭を蒸したり酒を温めたりして販売していました。
「風呂の湯」の傍ら1.5メートルほど東のところに塩分のない温泉が湧き出ていました。
明治11年、大内青巒の熱海史誌には、淡泊無味常水を温めるもののごとし、故に「水の湯」と名付くと記されています。

大湯間欠泉
所在地:熱海市上宿町3
ニューフジヤホテルアネックスと湯前神社の間
古来からの間欠泉で世界でも有名な自噴泉でありました。
「大湯」の噴出は昼夜6回で、湯と蒸気を交互に激しい勢いで噴出し、地面が揺れるようであったといいます。明治中ごろから次第に減少し末ごろには止まってしまいましたが、関東大震災のとき再び噴出しました。しかし、その後も噴出回数は減少しつづけ、昭和のはじめついに止まってしまいました。
昭和37年に人工的に噴出する間欠泉として整備され、市の文化財として保存し現在に至っています。

小沢の湯(平左衛門の湯)
所在地:熱海市銀座町14
日本たばこ産業前
沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を「平左衛門の湯」と称していました。また土地の人は小沢にあったので「小沢の湯」とも称しました。
「清左衛門の湯」と同様、人が大きな声で呼べば大いに沸き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。

※小沢の湯では、ゆでたまごを作ることができます。向かいにある商店でもたまごを販売しています。
ゆで時間は天候などにより左右されますが8分前後だそうです。

野中の湯
所在地:熱海市咲見町7
中銀ライフケア咲見 入口付近
野中山のふもとの、このあたりを野中といいます。
この辺り一帯は、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。また、このあたりの土は丹(赤色の土)のようで、壁を塗る材料にしました。
江戸時代までは、この「野中の湯」は沸き出るところが浅かったので、あまり入浴には利用されなかったようで、そのため、湯をためる湯桝を設けなかったといわれています。

※源泉所有「中銀ライフケア咲見」

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